身近に潜む恐怖の甘言
○MYベストシーン
いっきにユートピアにできそうだという幻想。
未熟で精神的に誰かに頼っているからこそ抱く錯覚。
誰かが何とかしてくれるという甘えがカルト集団によくみられる。
振り返れば何かにつけて一気に結果を出そうとしたことに恥じ入る。
綿矢りさの大地のゲームを読み、強力なリーダーの魅力に関心を持ったんです。
耐えられないほどの孤独や不安に一人で向き合えるのは本当に強い人だけ。
人は絶対的な存在を想定して与えられるものを待っているほうが楽。
確かにそうだけど一人の人間に拘束されるのは怖いことだ。
ってことで、世間を賑わせたオウム真理教の実態から、
カルト宗教の手口について知ろうと読んでみたんだが…
僕、簡単に信者になっていたかも知れない
マジで怖くなった(゜∇゜)
当作品は元オウム真理教信者の告発本。
だから当時の生々しい内容がたっぷり( ´∀`)bグッ!
当時、僕は赤ん坊だしよく知らなかったしね
何が怖いって、筆者が当時のことを変だと思っていないこと。
そして筆者の性格や考え方が、普通の人なら共感する部分が多いこと。
流石、当時1万人以上が入信したカルト教団。
巧みに僕たち人間が絶対に抱えてしまう部分をついてくる。
情報はまん延しているが、
心の支柱となる哲学や知識が足りていない。精神的飢餓感を埋めようとする自己向上欲、真面目さ、真摯さ…
強い人ほど居場所のなさ感のような孤独感を覚えることになる。
地獄や幽霊の存在、目に見えないものに人は関心を持ちやすい。
カルトは目に見えな精神世界の無知による矛盾をズバり埋めてみせる。
ハマった本人は満たされない部分が埋まったと満足してしまう。
真面目ゆえに視野がせまくなるというのに納得。
子供の頃から自分の生き方をびしっと決め、己の哲学を持っている人は少数。
僕も大学卒業前なのに何を目標に生きていくのか分かっていない。
焦って結果を求めてしまい、変な宗教団体を掴まされてしまう。
また人間は飽きっぽくいろいろなことを途中で投げ出す生き物だ。
そんな中途半端な自分がイヤになることは誰でもあることだと思う。
そんな挫折してきた心に少しずつ修行を積ませる。
人間の「今回は手を抜かずにやり遂げよう」という真摯さをつけねらい、
ハードな修行をやり遂げた充実感を神秘的な感覚だと錯覚させる…
他人と競い合って得る不安定な満足ではない、
自分に打ち勝つことで生じた喜びはだれもが持つ感情だ。
受験、マラソンなどで僕も経験してきた喜びだ。
その感情を謎の肉体的酷使の修行で感じるとは…
ハードな体験も自分にとって貴重な体験だという考え方はマジ社蓄です
この当時の筆者の考え方はマジで怖くなった。・゚・(ノ∀`)・゚・。
ただそういう修行から自信を得たり、人に優しくなれると感じるのだろう。
筆者は過酷な修行で目に見えない心の力がついたと言っているのだから…
本当に自分はしっかりしているから大丈夫と思っている人ほど危ない。
人は自ら進んで精神的な自由を拘束されることを望んでいるのだと感じさせられた。
不安を感じて生きるよりもコントロール下に入るほうが楽だと…
宗教以外にも、過酷な労働環境などでも同じような手口が使われているのだろうな。
僕もこれから会社のコントロール下に入るのだから気をつけないと( ゚д゚ )
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