〇すぐ隠れようとする親近感もある
タロットの大アルカナ22種類。
その中から1枚選び、今のボクを表現するなら…
不安と現実逃避の意味をもつ「月」かなと思った
まぁ4か月前の出来事で大きく不安定な状態になったなーと思うのだ。
そして二次元が大好きなボクとしては現実逃避もお茶の子さいさい。
深く悩むことなく、ああ…このアルカナはボクだと思ってしまった。
それで不安と言えばでタイトル回収。
哲学者、キルケゴールの有名な言葉。
「不安は自由のめまい」
不安とは人間の根源的な自由が体験するめまいである。
人間は理性や知性など特定のあり方で本質を規定することのできる実体存在ではなく、心と身、可能と必然、永遠と時間、無限と有限など、相反するさまざまな要素をもつ関係存在である。
人間はこれらの諸契機を自分なりに主体的に関係づけながら自己を形成していく自由な存在である。
そして、自由であるということは、特定の本質をもたないという無のなかにいることとなり、無を前にした気分が不安をよぶのである。
人間は自分の存在を未来へ向かって自分で規定していく自由をもつ。
しかし、自由な可能性として存在しているそのことは、自分で選び取ったことではなく、不条理にも過去以来そうした仕方で投げ出されている。
そして、わけもなしに自由であるそのことを、そのつどの現在ごとに人間が理解するとき、人間は不安の気分に襲われる。不安は存在のこのような時間性を露呈せしめるのである。
引用:コトバンク(不安の哲学)
自由という言葉に強く惹かれる。
一応、セミリタイアを目標にしているボク。自由に憧れないわけがないのだ。
この3ケ月、診断書とともにポィっと自由な時間を得たボク。
あの本を読もう!あのゲームをやって旅行にも行こうとワクワクした。
しかし自由な時間を得た気になっていた気がする。
実際、時間なんて目には見えない無の存在だ。
やりたいことはまだまだある。読みきれない本もたくさんある。
しかしそれらを目の前に山積みに置いてみても…
それ以上に「無」が広がっている感覚がある
そしてその無に飲み込まれないよう、娯楽でただ不安を紛らわそうとしていないかと思うのだ。
こんなにも深く広い無の空間なのかと圧倒される。
その中にぽつんと立ってみて、「本当にこのままで良いのだろうか?」という不安が襲ってくる。
そして「じゃあ何をすればよいのか?」と頭がくらくらしてくるのだ。
間違いなくこの3か月間、そして今のボクも。
自由というヤツに頭まわされている
プチセミリタイア(休職)をしてみて初めて自由の怖さを知った気がする。
本当に贅沢な経験をしているなーと言わざるを得ないのだ。
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